最初に、身も蓋もない本音を言おうと思う。
私は昔から、人の車を触るのが好きだったわけじゃない。「自分の車を触るのが好きだっただけ」だ。
車が好きで、技術を磨いて独立した。それなのに、いつの間にか他人の車の保険修理に追われ、自分の車に触る時間も金も気力も無くなっていく。
これが、板金塗装で独立した社長たちが陥る、最初の絶望だ。
ネットの知識で語る「クレーマー」への殺意
独立して現場に出ていると、どうしようもなく理不尽な客に出くわす。
ネットの知識だけで武装して、持ち込みパーツで工賃を値切るくせに、自分の主観で仕上がりに文句を言う、自意識過剰で自分中心の客だ。多分自分も独立せずに自分の車中心だけだったらそうなっていたと思う。そのくらい車が好きな人にはたいせつなこだわりな事。だからそこは妙に分かる。
そんな客の長話に付き合わされ、でも分かるところもあり、作業時間を奪われながら、心の中では本気でこう思っていた。
「まじで帰りに〇〇!! 自分の主観でクレーム言うなら、自分でやれ、工場作れ!!」
今思えば完全に心は荒み卑屈になり、車自体に対する好きなどという感情も無くなり、自分が何なのか分からなくなっていたんだと思う。
だが、現実には笑顔でペコペコと頭を下げて、胃を痛め、鬱になり、赤字ギリギリの仕事を受けていた。
なぜ、そんな理不尽を断れなかったのか?
答えは簡単だ。「1台ごとの本当の原価」が見えていなかったから、「とりあえず売上(現金)を入れなきゃ潰れる」という恐怖に支配されていたのだ。
3億円売り上げて、通帳に残ったのは「7.5万円」
朝から晩までシンナーの匂いと火花にまみれて働き、案件は途切れることなく回っていた。
「これだけ忙しいんだから、さすがに儲かっているはずだ」
そう信じて決算書を見た夜、私は愕然とした。
売上 3億円 → 純利益 7万5千円
利益率 0.025%。家族で数回焼肉に行ったら消えてなくなる金額。
3億円という大金を動かし、職人たちをクタクタになるまで働かせて、怒鳴り、怒ったら一瞬はすっきり。その後は心配と後悔。何も残らなかった。見えない間接費(家賃、光熱費、保険、クレーマーに奪われた時間、見積もりや請求書に書いていない時間、保険会社との交渉時間…)が、すべての利益を食い潰していたのだ。
「職人の優しさ」という名の、経営者としての逃げ
なぜこんな地獄に陥ったのか。原因は私自身にあった。
私は当時、会社で一番技術に自信があり、実績があるという自覚があった。だからこそ、自分の技術をどんどん安売りしていた。
「俺なら早くできるから、このくらいはサービスしてあげないと。」
一見すると職人の優しさに聞こえるかもしれない。
だが、本当は違った。単価交渉という、お客さんとのヒリヒリするような摩擦から「自分の汗」を使って逃げていただけだったのだ。
そのツケを払わされたのは誰か?現場の従業員たちだ。
私が安売りをして利益を削るせいで、彼らがどれだけ頑張っても正当な評価(給与)で報いることができない。私は本当に、従業員に悪い事をしてしまっていたのだ。
職人ならそれでいい。でも、経営者はだめだ。
自分の腕を磨き、採算を度外視して納得いくまで車を仕上げる。
「職人」ならそれでいい。それが美学だ。
だが、「経営者」はだめだ。人を雇ったからには。そこにはその家族が居る。
経営者は、数字という冷徹な現実から目を逸らしてはいけない。理不尽な客を切り捨て、適正な単価を要求し、従業員とその家族を守り抜く責任がある。
そこに気づき、私は「どんぶり勘定」を完全に捨てた。
1台ごとの本当の原価を計算し直し、理不尽な要求は断り、単価を適正に上げた。
同じ工場・同じ人材で、純利益 1,500万円
従業員たちは最初から、それだけの利益を生み出す技術を持っていた。
狂っていたのは、値決めをする私の頭(システム)だけだった。
G・S・T・A(原価を知って、単価を上げよう)
だからこそ、私は自分のために、自分を甘やかさないための「経営OS」を作った。
職人のエゴで安売りしそうになった時、スマホの画面が「社長、その単価じゃ赤字ですよ」と冷酷に突きつけてくれるシステムなのです。
頭文字をとって、「GSTA(ジスタ)」。
これが、私が15年かけてもうやめようと思った時に見つけた物です。この業界で生き残るための唯一の答えだ。みんな真面目にやってるんです。ネジ一本で大変な責任取らされる仕事をやっているんです。ちょっとした塗装の不手際で詰められて、悩んで、誰にも守ってもらえず、この世を去った生真面目な職人もいるんです。
社長、あなたのその修理。純利益はいくら残りますか?
もし即答できないなら、かつての私と同じ地獄に落ちる前に、GSTAを使って下さい。